コロナで鬱になった話②

 

前回の話:

コロナで鬱になった話①

仕事を辞めさせてください

実は、上司に辞職の意思を伝えたのは二度目でした。

 

大学のスペイン語学科を卒業し、

駐在員になりたくてこの会社に入ったのに、

運良く入社半年でドミニカ共和国駐在が決まったのに、

ドミニカに来た初日で「何か違う」と感じて号泣し、

最初の一ヶ月で「これは私のしたい仕事じゃない、もう辞めたい」

と思って上司に辞職の意思を表明したのに、

美術の道は険しいだの、

美大生でもないのに破天荒だなの、

卒業したばかりで留学に行くお金ないだろうなど、

いろいろ説教され、会社に残ることを決めてしまった私…

(ストーリーでこんな事書いていた割に、上司に説得され、親にも仕事を辞めるのを猛烈に反対された。恥ずかしい。しかし時間はかかったものの、今は進みたい道に進めてよかった)

(それまでずっと通訳翻訳の仕事しかやってこなかったので、

当時は、自分も美術系で食っていける自信がなかったと思います)

 

しかしずっと、私はなんでここにいるんだろう、

ここで一体何をしているんだろうと

自己自問の毎日でした。

一年半駐在したのにもかかわらず、

仕事に関しての漫画をあまり描かなかったのも、

私自身がこの会社の仕事のやり方に疑問を持っていたのが大きかったと思います。

フリーの通訳をやっていた方が百倍ワクワクして楽しかった、

しかし、こんな遠くまで来たからには、

何らかの意味があるんじゃないか…?

そう思って、ひたすら今日を精一杯に生きるのと共に、

自分探しをしていました。

 

そんな長い時間の流れの中で自分と向き合い、答えを出し、

上司にも自分の意思を真摯に伝えて、

一応理解の言葉も頂いたのですが、

どこかと心にモヤモヤ残るような口調でした。

もやもやと違和感①

 

そんな時、コロナがラテンアメリカでも流行り出し、

本社から自粛の命令が下され、

オフィス(つまり住んでるアパート)から一歩も出てはならない、

と命じられました。(会議はオンライン、買い物は他人任せ)

中国は感染を防止する対策が徹底的だったので、

最初は「仕方ない」くらいしか思わなくて、

まだまだ心に余裕がありました。

コロナの影響で仕事が減ったので、

絵を描いたり、部屋で踊ったりして

何とかポジティブになろうとしていました。

友達とオンライン会話で励まされ楽しかった日もあったし、

ゲームをして気を紛らわしたりもしました。

しかしダンスや絵や会話やゲームも所詮メンタルには一時的にしか効かなく、

空港再開の検討がつくどころが、

ドミニカのコロナ感染者は増えていくばかり。

仕事辞めたいのに帰れない、

すぐそばに友達と彼氏が住んでいるのに会えない、

食べるものも自分で選べない。

上司はほぼ毎日スーパーに出かけていたのに(本当は出かけちゃいけないが)、

自分は「生理用品を買う」と言う理由でしか、

スーパにさえ行けなかったのです。

(もちろん、デリバリーも禁止されていました)

ストレスがどんどん溜まっていくのに、

発散できるところはどこにもない。

私だけではない、しょうがない、と自分に言い聞かせても、やはり辛かった。

snsを見ると、どうしても他人と比べてしまう。

同じ自粛でもなんでこんなに違うのか、

なんで私は苦手な人たちに24時間ずっと監視されなければいけないのか…

あぁ…これは何かのバチだろうか??

当時フォロワーさんから頂いた励ましの言葉で自分を元気付けていた。本当にありがとう。

 

上司の態度豹変!怖くても逃げ道がなかった

その時期、コロナの影響で私の会社がドミニカで進行しようとしている

大きなプロジェクトがなくなりそうになってしまい、

上司の機嫌は明らかに日に日にわかりやすい形で悪化して行きました。

プライベートの時間に友達と電話したり、オンラインの授業を受けていると

物凄い勢いでノックされてうるさいと叱られ、

自分の部屋のドアを閉める時に風のせいでバタンと音が鳴ってしまった時にも叱られ、

夜寝るのが遅くなった時も生活習慣が悪いと叱られ、

アパートの掃除を彼から教わった手順でしない時も、

夜、ご飯を作っている時も、週末に昼まで寝ている時も

とにかく叱られ続けました。

何をしても怯えてしまい、常に怖かった。

毎日チケットをチェックしているのに、

帰れる見込みがつかない。

本社からも私の代わりの通訳が来れない状態だったので、

当時辞めて出ていく事も許されなかった。

もしかして私はずっとここから出られないかもしれない…

そんな考えが頭をよぎるたびに、涙が溢れました。

 

つづく

 

 

 

 

 

 

 

 

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